εの読み方について

タイトルにもあるようにここにはギリシア文字のεの読み方について記そうと思う。

そもそもこの文字、ε。読者諸君は如何程馴染みがあるだろうか。ギリシア語学習者や言語として文字をを好む方々はダイレクトなものであるが、ある程度踏み込んだ数学徒はε-δ論法等で大きく馴染みがあるだろう。それ以外にも他の学問等でお世話になっている者も多いと感じる。

さて、このように深く馴染みがあるこの文字について諸君らはどうでも良いものとして思っているのだろうか。この人類の学問に大きく発展してきたと言っても過言ではない文字を唯の文字として認識するのか。否、感謝すべきであ

る。そして、感謝するには先ず知らねばならない。

こう長く気持ち悪い文章を記したところで、本稿を作成している理由を諸君にお教えしよう。私は言語学が好きにも関わらず本職は理系で(本職とは言っても高校生であるが)、能く数学の本やブログを読むのだが、それにしても数学者はεを「イプシロン」と読んで、しばしば私を落胆させる。存じている者も多いとは思うがイプシロンというのはυを表すのであって、断じてεを表すのではない。εは「エプシロン」であって、イではないのだ。


と、ここで本稿で言いたいことは全て終了したので幾許の弁解をさせていただきたい。

先述した通り私は言語学も少々嗜むのだが、今のように何かとミスなどを見つけては批判したいわけではない。心が幼い時にら抜き言葉を指摘したのであるが、現在はナンセンスなものと考えている。私は日本語には日本語の発音があって、英語には英語の発音があってと思っている。だから私はハンバーグをハァンバーグと言わないことについても特になにも思わないし、逆に寿司をアメリカ人がスゥシィと言っていたとしても日本が好きなんだなあと思うだけである。

しかし最近は、その様なことに噛みついてくる輩が多い印象を受ける。例えばド・モアブルの定理(分からぬものはこのブログ内では然程関係ないものであるから、知りたければ各々で調べてほしい)の正しい発音はド・モワブルであるという極めてどうでも良いことを言うものだったり。私としては、モアブルであろうがモワブルであろうがモーブルであろうが認識できればそれで良くて、恐らく音韻論的にも良いだろう。私は音韻論については見識が浅いので確証は持てぬが。

兎に角、大切なことは発音ではなく国語である。国語を大切にしないでこんなどうでも良いことに噛み付くのは唯の愚者としか、私の目には映らない。これは発音のことではなく、文法や語彙についてもそう言えよう。

私も含めて一般的な者はある程度使えれば、意味はあまり分からなくてもまあいいかの精神が多いのではないか。仕方ないと言えば仕方ないのであるが、先述した似非国語学者がいる以上、私は悲しみを覚えるのだ。 皆も大事にすべきことは、目の前にあるのではないか。そう生活していただきたい。 駄文のご愛読に感謝を表して本稿を締める。 令和四年文月参日